ソクラテス
前469頃 – 前399

 

 なぜ「ビジネス倫理・技術者倫理の前提知識」をソクラテスから始めたのか。それはこれからの時代を生きてゆくことに連綿としてつながってゆく知恵の源流が、ここにあると思うから。
 これからの時代を、充実感をもって楽しく生きるためにどうしたらよいか。できたら専門性を持ちたい。自分の持っている専門性をこれからの社会の中に位置付けたい。
 ソクラテスは自分が何かを知ってはいないことを識者との対話を通して知ろうとした(無知の知)。それは必然的に既知のことを批判的に考えること、それを発言することにつながった。ソクラテスの批判的な言動は、それを肯定的に受け入れる人もいたが、時のアテナイの指導者の反発を招き、裁判で死刑になった。
 対話を通じて正しいことを知ろうとすること、それを生活の中で実践すること、それは進むべき道を自ら切り開いてゆかなければならない21世紀を生きる人にも通じることではないだろうか。

【脚注1】批判的であることは重要である。批判の対象を自分自身とすれば、それは自分の正しさをも批判することになるから、過信、妄信、横暴、独断といった、専門家や経営者が陥りがちな落とし穴を避けることにつながる。その知的謙虚さは、批判的・創造的対話を通して新しい知識・知恵を生む。

【脚注2】合理的であるために批判的であろうとすることに注目するならば、その源流はソクラテスではなく、イオニア学派に置いた方がよいのかもしれない。

(大来)

  

▶ 議論


 

ジョン・ロック
1632-1704



 なぜソクラテスの次が近世のイギリスの哲学者ロックなのか。それはロックが主張した人間の自然権・社会契約がアメリカの独立宣言そして、合衆国憲法にも大きな影響を与えたから。
 人間は生まれながらに生命・身体の自由を持つとの自然権の主張は、現代の基本的人権とか自由主義の主張につながってゆく。
 また、アメリカ合衆国憲法の前文の「われら合衆国の国民は、(・中略・)アメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。」とする国家と国民との間の契約関係や、資本主義社会を成立させているあらゆる社会契約の源流がロックにある。

(大来)

 


▶ 議論


 

米 独立宣言 1776


 アメリカ合衆国が世界の強大国であり、今後も強大国であり続けることを、疑ってもあまり意味がないだろう。その強大さを定量的に知りたい場合には、各種統計を調べればよい。ここではアメリカ合衆国の歴史を垣間見ることにより、現在の姿を理解し、これから彼らが進むであろう道を考える上でのヒントにしたい。
 アメリカ合衆国は1776年7月4日に英国からの独立を宣言し、フィラデルフィアで開催された憲法会議で1787年9月7日に各州の代表が憲法に署名して成立した共和国である。
『独立宣言の執筆に当たり、ジェファソンは、自然権と個人の自由という理念を重視した。これらは、17 世紀の哲学者ジョン・ロックらによって広く提唱されていた理念であった。独立宣言の冒頭には、「すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」と述べられている。』3
 引き続いてアメリカ合衆国は、人間の自然権と人民主権の概念を憲法で成文化し人民主権の概念の明確化た。さらに1791年には「権利の章典」(10か条の憲法修正条項)を定めた。
 ただ、制定された憲法では奴隷は5分の3人として計算していた。独立宣言で平等をうたいながら、女性、インディアン、黒人は差別されていた。その差別の撤廃には、長い年月にわたる戦いが必要だった。
 独立宣言には、次のように書かれている。
『われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等で あり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているという こと。こうした権利を確保するために、人々の間に政府が樹立され、政府は統治される者の合意に基づい て正当な権力を得る。そして、いかなる形態の政府であれ、政府がこれらの目的に反するようになったと きには、人民には政府を改造または廃止し、新たな政府を樹立し、人民の安全と幸福をもたらす可能性が 最も高いと思われる原理をその基盤とし、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる形の 権力を組織する権利を有するということ、である。』4
 長い年月にわたる戦いには多くの人が参加した。たとえば、エイブラハム・リンカーンが、あるいはマーティン・ルーサー・キングJr.が。
 リンカーンは次の言葉を残している。
『「すべての人は平等に創られている」という主張は、われわれが英国からの分離を達成するに当たって、実際には役に立たなかった。この主張が独立宣言に盛り込まれたのは、そのためではなく、将来使うためだった』5
 キングは「私には夢がある」(I Have a Dream)という演説を首都ワシントンで行った(1963年8月28日)。翌年、米国連邦議会は「1964年公民権法」を通過させた。そののち、キングは暗殺された(1968年 4月4日)。キングの演説の一部を紹介する。
『絶望の谷間でもがくことをやめよう。友よ、今日私は皆さんに言っておきたい。われわれは今日も明日も困難に直面するが、それでも私には夢がある。それは、アメリカの夢に深く根ざした夢である。
 私には夢がある。それは、いつの日か、この国が立ち上がり、「すべての人間は平等に作られているということは、自明の真実であると考える」というこの国の信条を、真の意味で実現させるという夢である。
 私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。
 私には夢がある。それは、いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスに変身するという夢である。
 私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。
 今日、私には夢がある。』6
 アメリカ合衆国では今なお差別撤廃運動が強力に推進されている。運動が推進されているということは、今なお強い差別があることの裏返しでもある。その社会実態を学ぶことは、私たちの心の中、思考の中にある差別を問い直してみることにもつながる。


3 「米国の歴史と民主主義の基本文書」の中の独立宣言  
  https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2547/
  オリジナルとなる英語と日本語訳の両方を見ることができる。
4 (同上)
5 「エイブラハム・リンカーン 自由という遺産」p.61
 「米国の歴史と民主主義の基本文書」に収録されている。
6 マーティン・ルーサー・キング・ジュニア「私には夢がある」

 

▶ 参考文献

 


 

会社の成立

(近代的)会社の成立


市場の普遍性(あらゆる財の所有権の確立/所有権の売買契約を双方の合意のもとに結べる)

 


 

ピューリタニズム
16C中葉


 民主主義(デモクラシー)の前には絶対的な王権があった。イギリスでは議会が(国民ではない)自らの特権を擁護するために王との間で権利の章典を作った(1688年)。
 それに先立つ清教徒革命では、身分の特権ではなく万人の人権についての人民協約が全軍評議会に提出された(1647年)。これは近代デモクラシー根幹をなす成文憲法の基礎とも言えるもの。
 しかし、王政復古となり、権利の章典となり、時代は進みつ戻りつしながら、アメリカ合衆国憲法の制定へと進んでゆく。

(大来)

 


 

第一次産業革命
18C 後半


18世紀後半の英国産業革命(第一次産業革命)は、二つの条件が両方とも整って、成立した。
①大量生産を可能にする機械の発明
②農村部の過剰人口の存在(貧困にあえぐ農村から都市に流入する豊富な労働力の存在)

(大来)

 


 

アダム・スミス
1723-1790



 アダム・スミスは「国富論」(1776年出版)の著者である。国富論の正式な署名は “Inquiry into the nature and causes of the wealth of nations” である。市場には「(神の)見えざる手(Invisible hand)」が働くとした。
 アダム・スミスのもう一つの主著は「道徳感情論」(The Theory of Moral Sentiment)である。それは彼がグラスゴー大学の道徳哲学の教授であった1759年に出版されている。

 


 

 

複式簿記

 教養を得たいという動機の目的が、たとえばイノベーションの創出やビジネス倫理の実践だとして、歴史を遡る方向で簿記(book keeping)を考えてみるとする。その際に、メタエンジニアリングの方法論の概念図にある、「専門領域に分化された科学技術(人文科学、社会科学を含む)と芸術の諸領域」を俯瞰的に見る形を意識したとする。
 イノベーションの目的は社会的価値の創出であり、会社はそれを利益の創出により立証する。利益創出を説明するために用いられるのが会社の会計(accounting)である。その説明相手は誰か。株主である。では株主とは誰であろうか。株式を持つ者である。歴史的には株式を持つ者は、利益の分配(配当)を期待して出資する者であった。それをここでは一般株主と呼ぼう。現在は株主が一般株主だけではなくなった。会社自体をもしくは会社の行う事業を売買することによって、利益を得ようとする者が株主に加わった。それを投機家と呼ぼう。一般株主+投機家=株主である。
 投機家の関心は、会社なりその事業なりを売買したとき、いくらで売買できるかである。そこで出てきたのが、簿価による会計ではなく、時価による会計である。例えば会社が土地や株式を持っていたとして、帳簿上の取得価格ではなく、現在価格で会社の状況を把握しようとする。これから得られるであろう利益を、時価や為替の変動差益も加えた包括利益によって認識しようとする。これは発生主義や実現主義といった会計の基本理念をも変え、予測的要素が入ってきたことになる。それは本来、会計の持つべき特質である信頼性を揺るがす問題であり、会計はいかにあるべきかというビジネス倫理、会計倫理に直結する問題である。
 株式市場の動きを見てみよう。会計不正に端を発した経営危機にあえぎ、曙光が見え始めた東芝は、投機家から見れば魅力的な投資候補の一つと見えるのではないか。2017年3月末の株主構成は4割弱だったのに対し、2018年3月末はそれが7割になった7。
 さて、一般株主の期待は、会社が継続して利益を出し、配当を継続することである。一般株主に対して、会社の過去の姿を説明するものが簿記である8。複式簿記ではフローとストックの二面から損益計算を行う。フローの面からの計算結果が損益計算書(P/L)であり、ストックの面からの計算結果が貸借対照表(B/S)である。損益計算書で計算しても貸借対照表で計算しても利益は一致するので、計算された利益金額に高い信頼性が得られる。株主は高い信頼性を持った利益金額から配当を受け取ることができる。
 しかし複式簿記だけでは、利益が出ているのに設備投資しようにも現金がないとか、はなはだしくは黒字のまま倒産してしまうという事態を認識することができない。今現在、使えるお金がどれだけあるかの把握が重要になる。そのために制度化されたのが、キャッシュフロー計算書である9 。一会計期間における企業のキャッシュ(現金+現金同等物)の出と入りを捉え、その流れを営業活動と投資活動と財務活動に分けて表示する。

  国家間の重商主義競争を背景とする簿記から会計への進化(未完)
  複式簿記の考え方と構成(未完)

 ゾンバルトは次のように言った10。
 『資本主義の発達に対する複式簿記の意義はいくら強調しても強調し過ぎることはない。当時の教科書は、簿記を「人間精神の発明した最も美しきものの一つ」と書いているが、たしかに複式簿記はガリレイやニュウトンの体系と同じ精神から生まれたのである。これによって明確な利潤が観念できるようになり、抽象的な利潤の観念は資本概念をはじめて可能ならしめたのだ。そうして固定資本とか生産費の概念が生まれ、企業の合理化の道を準備したのだ。簿記組織によって営業の独立性が明確に意識される』
 ゲーテは次のように言った11。
 『真の商人の精神ほど広い精神、広くなくてはならない精神を、ぼくはほかに知らないね。商売をやってゆくのに、広い視野をあたえてくれるのは、複式簿記による整理だ。整理されていればいつでも全体が見渡される。細かしいことでまごまごする必要がなくなる。複式簿記が商人にあたえてくれる利益は計り知れないほどだ。人間の精神が産んだ最高の発明の一つだね。立派な経営者は誰でも、経営に複式簿記を取り入れるべきなんだ』世界最初の簿記書は1494年に初版が出された『スンマ』である。数学者(僧侶、大学教授)のルカ・パチョーリ(1445 - 1517)により、ヴェネチアで上梓された。ヨハネス・グーテンベルック(1398?- 1468)は『スンマ』を活版印刷によって出版した 12。

 

7 日本経済新聞2018年6月2日朝刊
8 現在に至る複式簿記の端緒は13世紀初頭 のイタリアにあるという見方が一般的であろう。
9 欧米では1980年代後半から90年代初めにかけて、日本では2000年3月期から大企業で作成が
  義務付けられた。
10 ゾンバルト(Werner Sombart、1863~1941、ドイツの社会・経済学者)
  木村元一著「ゾンバルト 近代資本主義」1949.1 春秋社 pp.152
11 ゲーテ Johann Wolfgang von Goethe (1749-1832)「ヴィルヘルム・マイスターの修行時代」
   (山崎章甫訳、岩波文庫 2001.1 上巻pp.55)。
12 正式の書名は『算術、幾何、比および比例総覧
  (Summa de Arithmetica, geometrica, Proportioni et proportionalita)』、
   渡邉泉「会計学の誕生」、p.60


▶ 参考文献

 


 

マックス・ウェーバー



 なぜヨーロッパで資本主義が興隆したのかを理解しようとするとき、マックス・ウェーバーについて学び、彼を通して「近代社会」について学ぶことは有効であろう。
 ウェーバーの著作で最も知られているものは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」と言ってよいだろう。
 プロテスタンティズムが資本主義交流のバックボーンとしてあったことの理解は、なぜ自然科学がヨーロッパで発達したのかの理解につながる。それは宗教と文明の関係についての関心を高めざるを得ない。

 


 

渋沢栄一
1864-1931



 明治維新以降の日本の発展については、政・官の立場にいた人を中心に語られることが多いが、民の立場をつらぬいた学の福沢諭吉、産の渋沢栄一の貢献は、いくら学んでも学び過ぎということはないと思う。

この「ビジネス倫理」のページには、原案では日本人が一人もいなかった。しかしそれは寂しい。21世紀の「ポスト産業資本主義での会社・大学・NPO等の役割」について日本で考えるのであれば、渋沢を知ってと知らずしてとでは、得られる結果に大きな差が生じそうに思う。

そのような認識を元に、渋沢についていくつかの考察を記そうと思っていたところ、次期の一万円札の肖像画に採り上げられると報道された。いろいろな情報が提供されるようになったので、もはや詳しい記述は不要であろう。今の一万円札が福沢諭吉、そして次が渋沢栄一である。それを決めたのは政・官であろう。であるとすれば、日本の政・官には人を見る眼、民を尊重する眼があるということであろうか。

(大来)

 


 

産業資本主義の発展と挫折


to be supplied

 

 



ポスト産業資本主義での社会的組織(会社、NPO等)の持続的成長の姿


ポスト産業資本主義の事例を用いた説明
 リンゴを買って食べた後でも、食欲とお金があればまた同じリンゴを買って食べる。「リンゴ」に何を当てはめるか、それが商業資本主義の説明になり、また産業資本主義の説明になる。
 しかし「リンゴ」を「情報」、たとえばコンピュータのソフトウェアで置き換えてみる。今、使っているソフトがあったとして、使用条件が同じであれば同一のソフトを買うことはあり得ない。(PCの機種が変わるとかソフトの使用者が増えるとかの使用条件の変化がない限り、二本目のソフトを買うことはあり得ない。) 
 このような特徴を持っているのがポスト産業資本主義で、情報革命、IoT、金融革命、グローバル化など、さまざまな切り口で論じられている。
 利潤は「同一」からは生まれない。「差異」から生まれる。生産コストと売り上げの間に差異があれば、利潤を生める。それが産業資本主義である。しかし、差異を生む公式がなくなって(弱体化して)しまうと、新たな仕組み(典型例:金融商品)が必要になる。
 産業資本主義の中核が工業的生産という意味でのモノだとして、ポスト産業資本主義では中核が工業的に生産されたモノから情報というモノに変化するとして、情報というモノを社会の中核として存立させ得る社会的な仕組みは何かが、解決するべき課題になる。その仕組みが差異に基づく利潤を生めば、それは経済学的に価値がある。それはイノベーションである。しかしこのことは、その仕組みが経済学的価値を生みさえすれば、それで必要十分なのかという課題も同時に生成する。